今日は、物事を進めるときには、
「結果だけではなくプロセスが大事ですね」
「人に説明するのが、最近は特に大事ですね」
という当たり前に聞こえる話を
少し、深堀りしてみたいと思います。
例えばあなたが会社で働いていて、
一番やる気を失ったり、
怒りを感じるときはどんな時でしょうか?
会社の方向性と、
自分の考えが違っていた場合を
考えてみましょう。
会社内で、
「もっとこうしたらいいと思います。」
と直接、意見を言う機会があったら、
最終的にその意見が通らない場合でも、
「会社には様々な事情があるから、
しかたないよな。
そう決まったのなら、
私も考えをあわせて、貢献しよう。」
と納得して働き続けると思います。
もしも、
会社から何の説明もなく
最終決定だけが聞かされたら、
存在を無視されている気分になり、
怒るのだと思います。
「会社は何もわかっていない!」と
頭にきたりします。
人は、
自分が思った通りの選択を
他の人にもしてほしいと
結果を願う欲求よりも、
自分の意見を聞いてほしい
自分の知識を認めてほしい
つまりは、
自分が価値がある存在だと
そう認めてほしい
つまり決める過程で
自分の意見を尊重してほしいと
欲しているのだと思います。
そのために、
何の説明もなく進んでいると、
存在を無視されていると感じ、
怒りが湧くのだと思います。
だからと言って、
人々の気持ちに向き合うために、
民主主義や多数決をすべきだ、と
言いたいのではありません。
今日は、特にそこを取り違えないように
お話したいと思います。
人の意見を聞きながら進める、そして
人に説明をしながら進める、ということは
説明を大事にしていこう、という
過程上での注意点であって、
多数決をして、
その結果を選択するということではないです。
多数決は、
全くとんちんかんな結果を招きがちです。
例えば、イギリスは、
ブレグジット(Brexit)の国民投票を
2016年6月23日に実施しました。
この投票では、イギリスが
欧州連合(EU)に留まるか離脱するかを
国民に、問うてしまいました。
当時から、
EU圏内で誰でも移動が自由にできるので
他国から多くの移民がイギリスに流入し、
公共サービス(医療、教育、福祉など)への
圧迫も問題になり、
国民は移民にうんざりしていました。
それに加えて、
ギリシャの債務危機があり
それをEUが救済したので、
「(自堕落な)他国のために
(エリートの)イギリスが損ばかりしている」
とイギリス国民は感じやすくなっていました。
結果として、EU離脱賛成が51.9%、
残留賛成が48.1%という僅差で、
EUからの離脱が決定されました。
その後、
ブレグジットをしたせいで、
EUとイギリスの間で、
通関手続きの増加や関税により、
供給チェーンが混乱し、
経済に悪影響が出ています。
「EUを離脱して、
輝かしい大英帝国として
やっていきたいのだ!」と考えて
離脱に一票を投じた漁師さんは、
その後、海外にお魚を売るときに
関税もかかって
通貨が違うので為替も関わり、
通関業務がとても複雑になって
そのせいで通関に時間がかかり、
その間にお魚が鮮度を失って
大量の魚を破棄することになり、
売上も20%減ってしまうという
こんな現実まで、
想像できたでしょうか?
多数決と、
「説明をしながら進める」ことは
全く違います。
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妥協することと、
「説明をしながら進める」ことも
全く違います。
例えば将来的な利益の為に
確固たる根拠を持って
少数派のA案派だったけれど、
世の中がB案派に多数流れているので、
日をまたいで次の日からいきなり
B案に口をそろえるなどは、
単なる妥協になります。
中途半端な折衷案で
お茶を濁すことも
「説明しながら進めること」と
少し違います。
A案のメリットをすべて捨てて、
B’ダッシュ案という、
とても愚鈍な、誰の特にもならない
折衷案にしてしまうのは失敗です。
A案である必要を説明しながら進めたり、
B案の人と話して、お互いの
メリットがデメリットを上回るよう
コラボ系C案を出して進める、など
そういう進め方が必要になってきました。
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このように、
説明をしながら進めるということは
とても労力がいることです。
簡単にいうと面倒なことですよね。
頭のいい方々の中には きっと、
おバカさんに説明する暇はない、
何しろ先に進まねば、
という風に、
いい意味でスピードを意識して
頑張ってやってこられた方々も
とても多いと思います。
説明しても、理解されずに
途中断念してしまったことも
あるかもしれないです。
それでもなお、これからは
説明をして進めていかないと、
俗世間的な声の大きい側に誘導され
ポピュリズムに流されて
短絡的な選択ばかりを重ねて、
「こんなはずじゃなかった将来
(⇒誰も得していない将来)」を
迎い入れてしまう可能性があります。
またしても
シンガポールの例なのですが、
リー・クアンユー元首相は、
国民の反発がでやすい
数多くの外国人受入れについて、
「外国人は経済にとって大事です」
ということをよく説明していました。
「経済にとって大事」なのであって、
その言葉には、
「経済的に利用しているだけだよ」
という意味が入っていました。
政府関連の様々な記入書類にはいつも
- Citizen(国民)ができること
- PR(永住権取得者)ができること
- Employment Pass(労働許可証保持者)ができること
- Work Permit(単純労働者)ができること
と分類ごとに明確に書いてあって、
12年在住していた私はPR取得後も、
書類を見るとストレートな文面から
疎外感を感じるほどでした。
外国人は経済のために大事であるが、
ただ乗りはさせないと
明言されていました。
「シンガポール人には
徴兵制にまで行かせているのだ。
そんなシンガポール人の築いたものに、
フリーライドはさせない」と
リー・クアンユーは無表情で、
話していました。
日本では政府が、あまりこういう説明を
奥ゆかしさのためか、明言しないため、
人々が常に不安に感じたり
裏読みをしたり、
裏読みの、そのまた裏読みをしたり、
方向性の意図が見えなくて、
信頼を失っているのではないでしょうか。
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ここからは個人的な話になりますが、
私も今まで仕事をするときには、
9割勝手に進めて最後の1割のところで
承認を得るような進め方をしていて
それが効率的だと思っていたりしました。
何かするたびに、メールの宛先以外にも
CCに多勢の名前を含めて伝えてくる人を
大袈裟な人だな~と思ったりしていました。
そんなのは無駄と感じたりしました。
「私の声を聞いてほしい!」と
主張し続ける人々を
メンヘラで面倒な方々と認識して
すごく苦手に思ったりしていました。
そういう気持ちは、自分の中で
浄化してほしいと思っていました。
「すぐ結論に飛ぶのではなくて、
まず、ただ話を聞いてほしい」と、
そう願う妻たちに、
うんざりする夫たちの気持ちが
よくわかったりしました。
また、レストランでなかなか
メニューを決められないで
ずっと悩んでいる人も苦手でした。
なんで自分が食べたいものを
すぐ決められないで、
だらだらしているんだろうと
思ってしまっていました。
今、これまでを大いに反省し、
もう少しプロセスを大事にして
今後は生きていこうと、
思うに至っています。
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