「人間の二面性」に直面してびっくりしたり
ショックを受けたり、それを憎んだり、
達観しすぎてクールになりすぎたり、
そういう過剰反応をやめたら楽になったよ、
という話を、
今日は、
先週(2025年6月)に行ったパリの旅とを交えて
お話したいと思います。
“Je suis la plaie et le couteau,
Je suis le soufflet et la joue,
Je suis les membres et la roue,
Et la victime et le bourreau.”
訳)
わたしは傷口であり、同時にそのナイフでもある
わたしは平手打ちであり、同時にそのほおでもある
わたしは手足であり、同時に車輪(拷問器具)でもある
そしてわたしは犠牲者であり、同時に処刑人でもある
仏文学科の大学生だった私は、
テニスもスキーもするフワフワなサークルや
バイトもいろいろしたりと、勉学に励まず
フランス語は全然できないままだったが、
進級はして、大学3年になっていた。
フランス語の発音を独特の口元で、
上品に教える姿がかわいい
金子教授のものまねを、
学生間でしていたりした。
その教授の講義で、
3年と4年を通して、週に何日も
シャルル・ボードレールの
『悪の華(Les Fleurs du Mal)』
を読んだ。
横浜の金沢八景の公立大学は、
年に25万円の学費だったが、
設備のしっかりした教授の部屋で、
赤茶の素敵な一本木のテーブルに本を広げて
7、8名の学生が授業を受けていた。
その時に初めて、ボードレールに出会い、
その”洞察力”に、
無垢な私はとても興味を持った。
先ほどの詩の本質は「人間の二面性」
-
私達は、被害者にも加害者にもなりうる。
-
傷つきながら、誰かを傷つけてしまう。
-
善と悪、美と醜、愛と憎しみが、
すべて自分の中に同居している
人間という存在の矛盾と悲しみと深さが
切り出されているように見えた。
私はまだ社会経験もない甘ちゃんで、
実体験と特に結びついていないからこそ
そんな文章を読んでも痛みはなく、
鋭さがとても面白く感じて読んでいた。
エロスについても、20年間同棲したり
離れて生活したりしながら付き合い続けた
エキゾチックなハイチ系の舞台女優のことを
「黒いヴィーナス」「獣のような魅力」、
「快楽と腐敗を運ぶ存在」「堕落の象徴」
と書いた。
最後はボードレールは梅毒で亡くなった。
この「悪の華」は
● 1857年に発表。
(日本の幕末頃。ペリーが来たのが1853年)
● モラルに反するという理由で、
6篇が発禁処分に(のちに復活)
● 社会からの非難と称賛が同時に寄せられた
という、話題作品で、
パリでの都市生活の憂鬱、
アブサンという幻覚作用ありの
緑の悪魔と呼ばれたお酒※のこと
などが書いてある。
※ 現在は成分調整されて
成城石井などでも販売されている。
ボードレールの生い立ちが独特で、
実の父親が6歳の時に亡くなり、
母親(美人で知的)が厳格な軍人と再婚し、
この継父のことをボードレールは嫌って、
家庭内で孤立していた。
名門高校で成績は優秀だったのだけれど、
実のお父さんの遺産で、
芸術家や詩人たちと、アブサンを飲んで
娼館で遊んだり美術と恋愛に没頭したりした。
それが、この継父により、
財産管理を制限されて、
成年後見人付きの、
勝手にお金を使えない状態に置かれ、
これにずっと屈辱と窮屈を感じて反発していた。
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その後、実社会に出た私は、
こういうアンニュイなボードレール自身の
洞察力に影響されてか、
人間や物事の裏側をあえて
一生懸命見ようとしていたように思う。
そして、それが自分の鋭さだと思い、
{なんでみんな気が付かないんだろう}と
イライラしたりした。
そして何十年も働いている間、
たくさんの人々にふれ、年を取るにつれ、
疑いではなく
「理解しようとするまなざし」
が大事なのでは、と思うようになった。
分析ばかりするのではなく
「信じて共に生きようとする姿勢」が
大事なのでは、と思うようにもなった。
そうするとうまく行くことも多くなった。
だから今度パリに行ったら、もう
ボードレールにはお別れを言いに行こうと
そう思っていた。
私は、サン・ラザール駅の
すぐ隣のホテルに泊った。
(↑モネの「サン・ラザール駅」)
(↓マネの「鉄道」)
ボードレールの詩の中にも
サン・ラザール駅が何度か出てきた。
そこからボードレールの眠る
モンパルナス墓地に行くには、
地下鉄13号線1本で行ける。

モンパルナス・ビヤンヴニュ駅
(Montparnasse – Bienvenüe)で降りたら
当時の退廃詩人や画家、思想家たちが集まる
モダンな場所ーモンパルナスの丘として、
教授のお部屋で想像していたものよりも
普通の雑多な印象がした。



道に沿って、緩やかな坂を歩いていくと
緑が多くなってきた。墓地が見えた。
お墓の入り口に、著名人の墓地の場所が
記されたマップがあった。
ボードレールは、6区画のBCエリアにいる!↓
道を進んで、6区画まで来た。
そのあと、お墓をひとつずつ見ていって、
やっと見つけた!
見つけにくかったのは、ボードレールの名前よりも
継父の名前が上に書いてあったから。
あんなに嫌っていた厳格で頑固な継父と、
その父と再婚して、
ボードレールに孤独を与えた母と、
結局亡くなった後は、こうして、
同じお墓に眠るボードレールは、
どう感じているんだろう、
そう思った。
ボードレールは晩年になって、
辛辣さよりも、
愛を見つめるようになってきていた。
だから、このお墓の結末に関しても
皮肉だねと笑っているかな。
ボードレールの名前のところに
こんなにたくさん参拝者のキスマーク💋
💋愛と官能と破滅💋を詩にした人だから
それも似合っている💋
彼が晩年にいったこと。
“Aimer, c’est voir un ange dans un démon,
ou un démon dans un ange.”
愛するとは、天使の中に悪魔を、
悪魔の中に天使を見ることだ。
つまり、
人の中に光と影の両方を見つめながらも、
それでも愛を選ぶこと。
私は、お墓の前でつぶやいたんだ。
Merci, Charles.
Vous avez vu nos ombres, mais aussi nos lumières.
ありがとう、シャルル。
あなたは私たちの影だけでなく、光も見てくれた。
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